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刃頭(ハズ) |
TOKONA-XとのユニットILLMARIACHIのフルアルバム、HAZU(刃頭)名義での ソロ・フルアルバム3タイトル
「最狂音術大全集」「TheNewborn」 「日本代表」の制作等でトラックメイカーとしての実力を遺憾なく 発揮しまくりつつ、HAZU(刃頭)、DJ
KRUSH、DJ YAS、DJ KENSEI、DJ HIDEで 形成されるDJ/PRODUCER集団「KEMURI PRODUCTIONS」
として ディズニーから依頼を受け製作した8曲入りの Disney REMIX集の 製作 (ディズニーが世界で初めて正式にサンプリングを許可!)と
ディズニー・ シーでのLIVE & DJ 、愛知万博で唯一定期的に行われていたDJイベント 「MURAMATSURI」でのメインDJ等、話題に事かかない
刃頭が新レーベル 「音韻王者REC.」(オーティノージャー ・レック)を設立。
レーベル第一弾 として、SKA音楽とHipHopを見事にMixし 新たなる ジャンルを開拓した 「最狂音術スカファンク」 シリーズのアルバム を2ヶ月連続でリリースしその底力を見せつけた と同時に、新ジャンル 「スカファンク」を見事にアピール して魅せた(聴かせた)。
DJ PLAYでは様々なジャンルの楽曲を自らREMIXしたオリジナル曲を中心に 他のDJでは絶対に真似の出来ないオリジナルなPLAYをCDJを駆使し随時披露!
まさに今、最も目(耳)を離せない状況にある事は 誰も否定出来ない事実。 ILLMARIACHIのセルフREMIXアルバム 「TWELVE VIPERS + ONE」にも すっかりド胆を抜かれている 事であろう。
さらにさらに現在「日本代表」に続く4thアルバムが今年POPGROUPより リリースされる事が決定!!
新たに、アジアを代表するフリー・ジャンルDJのYANOMIと 新星ユニット[ OBRIGARRD (オブリガード) ]を結成し、 HipHopなノリを軽く軸とし、CDJやらサンプラーやらを こねくり回しつつ、あらゆる国の音楽、民族音楽、土着音楽を現場で 対フロア爆弾に料理する雑食型のオーケストラ・エレメンターレとして 話題をさらっている。
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Mr.OZ(ミスター オーズィー)
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Original Zeniusこの称号が彼にはふさわしく思う。
'93年よりヒップホップアーティスト・ラッパーとして活動を始める。
DJ MOTO氏を師事し、'96年ヒップホップグループPHOBIA OF THUGを結成、その体から生み出される声は時に低く、時に高く、ハードコアバンドのボーカルもたじろぐほど激しく独特である。
また日本人らしからぬその言葉運びは賛否両論分かれるところ(某雑誌で討論されるほど)だろう、しかしそれをおおいうわまう彼のスキルとポテンシャルの高さは誰もが認めるところだ。
'98年 GANG TERRORIST PRODUCTION を設立。
以降 a.k.a.(またの名を)BIGGMACと名乗り数々のアーティストのCDジャケットデザイン・アートワーク、音楽プロデュース、テレビ番組、イベント等を手がける。
さらに'05年自身の手により設立された会社「BIGG MAC WORKS」では、スタジオ、レーベル、クラブ、飲食店等を展開させ、その動きは止まる予感どころかさらに拍車を駆け、名古屋どころか日本中を巻き込み動かしだした。
さらに同年、前述したグループによるアルバムリリースに加え、ソロ・アーティストとしての活動も開始。
即座にシングル2枚とアルバムをリリース。
これまでとは異なって存在を垣間見せる彼の音楽が、今までのイメージを保ちつつもさらに次へと続き、バックボーンにあるギャングスタラップやそのサウンド、確信犯的な日本語でのラッピング、1曲1曲への仕掛けやアイデア、多重な声の使い分け… 書き出したらきりがない程の可能性を見せた。
これまでにリリースされた彼の音源は、Phobia Of Thugとしてシングル3枚・ミニアルバム1枚・アルバム1枚、ソロとしてシングル2枚・アルバム3枚、名古屋の伝説的ハードコアバンド「CALUSARI」からの盟友EL LATINOとのスプリットアルバム(ミニアルバム、アルバム各1枚)、CITY-ACEとのスプリットアルバム1枚の合計13枚、100曲以上に上る。
また、全国各地のアーティストのプロモーションビデオに監督として携わり、映像監督としての作品集「Directed Film」シリーズ3タイトルをリリース。
PV監督として年間15本以上のPVを制作。
各メディアでもお目に掛る事が多い事だろう。
2009年4月、それまでの約15年のキャリアを纏めた自身初のベストアルバム「BIGG MAC WORKS」、間髪入れず7月には次のステップへ歩き出す為の新たなベストアルバム「neXXX
episode」をどちらの作品も専用3枚組BOXで発売。
共に好調なセールスを記録している。
09年11月よりテレビ愛知にて「SHAKE free TV」を開始。
監督、編集は勿論の事、雑誌「BLENDA」モデルの麻乃とともに番組司会までをこなし、更に「SHAKE free paper」、「SHAKE free
store」等も展開。
今まで以上に名古屋の街に名を響かす事となる。
2010年1月、2F、3Fは「SHAKE free store」様々なジャンルのお店が軒を連ねている。
4Fは4/2オープンした「POTATO」こちらはクラブスペース。
5Fにはビッグマック事務所とレコーディングスタジオが入る「BIGG MAC BUILDING」を作り、またも名古屋の街の活性化にも努めている。
彼がどれほど重要な役割を果たし、注目すべき存在であるかは、もはや説明する必要は無いだろう。
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DJ $HIN(ディージェー シン)
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幼少の頃より洋楽を耳にする環境の中で育ち、 10歳からブレイクダンスを始める。
ダンスに夢中だった彼は遂に1990年DJに目覚め、 1991年よりプロのDJとして活動をスタート。
同時に彼はDJバトルにインスパイアされ、そして参戦。
数々のタイトルを奪取、西日本チャンピオンを4度経験し、1998年には日本第2位まで上り詰め、 翌年1999年、DMC日本代表となった。
それと同時に、K.O.D.P.のBooなども在籍したS.B.S.のDJとして、Word Swingaz/FutureShockのライヴDJとしても活躍。
名曲Shingo2/E22との"Pearl Harbor"などのトラックメイカーとしても知られる。
さらには数々のテレビ番組にも出演、 FMラジオ番組のレギュラーも勤めた。
2003年にはCREWの名を一部に冠したレーベル、 "Turntable Troopers Entertainment"(T.T.E)
を立ち上げ、第1弾音源ともなるソロアルバム『World Famous』をリリース。
第2弾となったバトルブレイクス『KAMIKAZE BREAKS』は爆発的な売り上げを記録。
その後、第3弾『SAMURAI BREAKS』、第4弾『ICHIBAN BREAKS』,第5弾『BANZAI BREAKS』、第6弾『KAMIKAZE
SKIPPROOFS』 と、次々にリリース。
どれも国産バトルブレイクス史上記録的なセールスで、今もなお記録更新中である。
最近ではDJスクール、音楽専門学校など若手育成やプロデュース活動に重点を置き、トラックメイクやクラブプレイでもそのスキルを発揮している。
単にDJとしてだけでなくプロデュースなど、 幅広くこなせる貴重な存在と言えるだろう。 まさに日本DJ界の『PIONNER』的存在である。
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TOP BILL(トップビル)
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DJ、プロデューサー、エンジニア。Top Billion Studios主宰。カリフォルニア州 のExpression College for Digital Arts, Sound Art 科卒。
サンフランシスコのDJバトル・シーンで実力を付け、Zebra Records Battle 優勝。1996年よりShing02のDJを務めるようになり、多数音源にスクラッチで参加。
また、DJ Kou、DJ RyotaとCircus Djs を結成。
ウエスト・コースト・ファンクやレア・グルーブを中心としたミックス・テープ ”Top Billion Dollar Breaks” シリーズから音源制作を始め、DJ Top Bill + Shing02 「Sun In The Baycement」(2003)、「Avatar」 (2005)、DJ Top Bill 「Prelude To One Dollar Store」 (2005 アルバム)といったオリジナル作品を発表。
活動拠点を日本に移した後は、Circus Djsのルーティーンを収録したミックスCD「Live Show (2003-2005)」 (2006) や、ラテン・バンドのCopa
Salvo のキーボーディスト、
小西エリとのデュオ Eri Bill Orchestraとして「Tropical Temple」 (2007) を発表している。
2008年には、自身のスタジオのコンピレーション「THE TBS PROJECT」をリリース。
2010年12月より、季節ごとにリリースされるMix CD “Top Billion Seasonal Mix” シリーズを開始。
サウンドエンジニアとしてもShing02、Candle、Ari1010、CHIYORI 、Meiso, E13 and Muzono are LIONZ OF ZIONらの作品に貢献。
音楽ソフト/ハードウェアのセミナー講師としても活躍する。
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DJ RYUJIN(ディージェー リュージン)
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名古屋 NO.1 大バコ PARTY ROKKA であり、週末2000人以上の動員を誇る国内最大級のモンスタークラブ『iD cafe』の3F HIP HOP フロアーのレジデントを務める。
そのキャパに比例するように彼のプレイスタイルのスケールのデカさは聴くものを圧倒し、国内外のオーガナイザーからオファーを受けることとなった。
フロアを揺らせ続ける力、自在に音を操り人を引き込む彼のパワープレイスタイルは大バコでのオーディエンスをROCK し続けている実績の結晶といえよう。
また、最近では若手育成に力を入れ、プロデューサーとして DJ の NEXT LEVEL への前進を引っぱっている数少ない DJ の一人であろう。
このような現場での活動に加え、N.Y.のレコードプールとの契約により直送される最新プロモ、最新クラブヒッツを中心に、スキルフルなスクラッチ、2枚使いを交えてハイクオリティーに製作されるMIX TAPE (CD) のBRAND NEWシリーズは、毎回聴き所満載!!
凝りに凝った展開&彼の持つ独創的なセンスで、日本全国で賞賛を浴び、ヘッズはもとより DJ からも絶大な評価を受け、彼が所属しているN.Y.のレコードプールのミックステープアワードではなんと!
チャンピオンの座に君臨する等、海外でも高い評価を得ている
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ようすけ管理人
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1975/11/15愛知県生まれ。A型 OTAIRECORD
CEO。 CD屋の息子に生まれ、音楽漬けの人生を運命づけられる。 中学生のころからギターを始めハードロック畑にどっぷり浸かり、 ギターの早弾きの通信教育を受講する、、が、イングウェイマルムスティーンが弾けず断念。 それと並行しローランドのミュージ郎とTASCAMの4トラックMTRをゲットし自宅録音にはまる。 録音中にお母さんに「ご飯だよ!」と呼ばれ、へこむ。 高校の頃お昼のお弁当の時間に校内放送からローリングストーンズが流れ、弁当を食べながら衝撃を受ける。 60年代ロックに傾倒し、そこからあらゆるジャンルの音楽を聴きまくる。 近所のCDレンタル屋の在庫の半分くらいをレンタルして店員に顔を覚えられる。 大学の頃にロックをクラブでかけていい事を知り、ロックイベントBEAR'S
TEA TIMEに参加し、ロックDJとしてDJデビューをする。 打ち込みの音楽もいいのでは?と気づきハウステクノイベント「THE
SOUL」、「grovie groovie」などで、若干活躍する。 もっとみんなにクラブミュージックを知ってほしいと思い、「groovie groovie
名古屋クラブフェスタ」を主催して、朝から栄のど真ん中でフリーイベントをし2000人以上集めて爆音を出し警察に怒られる。 妹ASUKAの誘いでなぜかハードコアへヴィロックのあくの強すぎる伝説的バンド「LA-LA」のギターとして加入し、それなりに楽しくやる。 ボーカル脱退後、埋め合わせで代役ボーカルをやっていたが、まあまあうまい事いったのでボーカルに抜擢される。 持ち前のサービス精神で盛り上げたい一心で首を振りすぎて頚椎のヘルニアになる。 バンドを脱退後。。うーん忘れた。。。
ひょんなことでターンテーブリスト世界一決定戦DMCの東海予選をオーガナイズするが、スクラッチや二枚使いなどはほとんどできないのが気まずくなる。 でも、なんとか楽しくやらさせてもらっている。
まあ、とにかく音楽人生をふらふらと楽しく過ごしている。
OTAIRECORDについては、2000年6月にインターネット販売を始めてみる。 CD屋をやる傍ら、インターネットでレコードが売れる事に気付き、メジャーでミーハーをコンセプトにレコードを売りまくる。 調子に乗ってDJ機材も販売し始める。YOUTUBEも頑張ってみたがトークが下手で困っている。 この調子でがんばりたい、と思う今日この頃である。
好きなお菓子はポテロング。 好きな映画は「勝手にしやがれ」。 |
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